2010年 7/18 カレーも介護食?かも・・・ [日記]
今日のお昼,おっくんに何を食べさせようかと母と相談した結果,おっくんの賛同もあり,カレーを作る事にしました.
おっくんは,脳挫傷の後遺症で嚥下(飲み込む事)が弱かったり,しっかりと咀嚼する事も難しいので,普通食ではありますが,固いものは食べられません.
という訳で作り始めたカレーですが,お昼のバタバタとしている最中に買い出しに行くのも時間のロスなので,冷蔵庫にある食材で作る事にしました.
今の季節,夏野菜がたくさんあったので,今日はこんなカレーになりました.
材料:茄子,赤玉ねぎ,じゃがいも,マッシュルーム,にんじん,シーチキン
野菜はしっかり煮る事で柔らかくなりますし,お肉でも良かったのですが,今日は買い置きがなかったので,代用でシーチキンの缶づめを使いました.
これ以外に野菜(ピーマン,熟したアボカド,トマト)を細かく切って,リボン型パスタとオリーブオイル,塩で和えた冷たいサラダ(添付画像)を作りました.
カレーは,クミンなどの香辛料もいろいろ足しますが,疲れやすい夏にはクミン(ウコン)はとても効きますし,野菜も食べやすく,お米もスプーンで食べさせやすくなるので,もしかしたら介護食には適しているかも知れません.
ちなみに,今朝固めのお粥を作って食べさせた残りがあったので,そのお粥にカレーをかけました.
しっかり食べきって,その後しばしお昼寝・・・
次回から帰宅時のメニューに加えようと思います.
2010年 7/17 ”どうすりゃ・・・”に爆笑 [日記]
こんばんは!
おっくんは,予定どおり昨日7/16の午後からこの3連休を自宅で過ごす為に一時帰宅をしています.
何しろ嬉しそうな表情なので,見ているこっちも楽しくなって笑ってしまいます.
私は昨日は帰宅できなかった為,おっくんに会えたのは今日7/17の夕方でした.
ちょうど晩御飯の真っ最中だったのですが,母がおっくんに怒ってばかり
どうしたのかと尋ねたところ,おっくんはそれまで静かにテレビを観ていたり,と周囲を困らせる行動がなかったにも関わらず,食事が始まったとたん,延々と「あいうえお文字盤」を指さしながら,「しゅうしょくしたい」と繰り返していて,食事に集中できず,咀嚼も中途半端なまま食べ物が口からこぼれ落ちてしまうという連続だったようで...
昨日から帰宅しているので,おっくんの介護に疲れた母が怒っているのだろうと思い,私がおっくんに「そんなに怒らなくてもいいのにねぇ...鬼の形相だねっ! 」と話しかけたところ,おっくんはすかさず「あいうえお文字盤」を指さし始めました.
ぷんすか状態の母と,なだめている私と妹とで,一体おっくんが何を指さすのやらと文字盤を覗き込むと,「ど・う・す・り・ゃ・い・い・ん・だ・?」と指さして,クスッと笑うなり顔を伏せてしまいました.
「どうすりゃ,って!」と一同爆笑!
介護はキレイ事でうまく行くものではないですし,介護する側もされる側も疲れたり,ストレスが溜まるもの.
そういう時には,疲れた誰かに対して冷静に肩をポンと叩いてあげられる余裕のある家族が周囲にいる事で乗り切れる事もあるのでしょう.
母も今年65歳.ときどき「私がもう少し若かったら,もっとおっくんにいろんな事をしてあげられるのにと思うと悔しくなる事があるわ・・・」と気弱に漏らしている事がありました.
怒りの裏に涙あり・・・.母も支えてあげなければならない存在です.
ともあれ,楽しそうなおっくんの笑顔には癒されます.
明日は一緒に近所の公園をお散歩しようね!
2010年 7/15 おっくんが明日から帰ってくる! [日記]
おっくんが神奈川のリハビリ病院に転院して、今日で4日目です。
その病院へ私自身はまだ行けていないのですが、通っている母の話では、高次脳機能の患者さんばかりではなく、30歳前半くらいの若い女性でも脳梗塞で脳に障害を負って入院してリハビリしている人であったり、認知症の症状が出ている初老の患者さんであったり・・・と、さまざまな事情で入院している人がたくさんいるそうです。
入院早々、残念な事に病院からは「これから3か月の期間の中で、歩くようになれるまで回復する事はありません」と言われました。
3か月は確かにとても短い時間なのかも知れません。でも、やっぱり少しでも回復を期待せずにはいられないものです。
明日の午後から、連休に向けておっくんが自宅へ一時帰宅します。
私は会社経由で参加している同業者(IT系)の研究会で論文〆切が大詰めな為、熱海で論文合宿・・・
おっくんには、土曜日の夜から会える予定です。
自宅にたまに帰れると、とても喜ぶので、転院後の今なら格別にうれしい出来事に違いありません。
気合い入れて合宿を乗り切って早く帰宅したい今日この頃。
今から合宿に向けてレポート作成に気合い入れます!
おやすみなさい...(^o^)丿
2010年 7/12 リハビリ病院への転院 [日記]
今週の月曜,7/12におっくんは千葉の交通事故専門病院から他県のリハビリ病院へ転院しました.
転院の前の日,そして転院の朝,お世話になった病院の皆さんに温かい言葉をたくさん掛けて頂いて,母も感無量だったそうです.
おっくんとしては,2年お世話になり,生活の慣れた病院を離れるのはきっと不安もたくさんあったのだと思います.
母とは,「お世話になった病院の人たちに,近い将来必ず自分の足で歩いて,自分の言葉で相手に伝わるような発語でお礼が言えるようにしようね!」と心に決めて,決意を新たにしました.
お世話になった千葉の病院の最後の日に,私は仕事で迎えに行けなかったのですが,本当に感謝の気持ちでいっぱいです.
皆さん,本当にありがとうございました.
7/12の朝,病院を出発し,妹夫婦の運転の下,一路次の転院先となる神奈川県の病院へ向かいました.
その病院は,リハビリで有名な病院との事で,家からはかなり遠いものの,おっくんの回復と将来を願って,3カ月の短い期間ながら,家族みんなで転院を決めたのでした.
転院した初日は,予想以上の不安がおっくんを襲ったようで,ヨダレをずっと垂らしっぱなしにし,母に「お母さん,お母さん・・・」と懇願するようにすがっていたそうです.転院前の千葉の病院では,食事の時こそヨダレが出たりしたものの,日常生活でヨダレが出っぱなし,という状況は久しくありませんでした.
それだけ,神経が不安や,もうすぐ自分を病院に置いて居なくなる家族への思いでいっぱいになってしまったのだと思います.
今日(7/14),母はおっくんの所へ行き,身の回りの世話(洗濯等・・)したそうですが,やはり「お母さん,お母さん・・」が続き,「週末には自宅にまた一時帰宅するから大丈夫だよ」と声を掛けてはなだめ,また「お母さん,お母さん・・・」となる度に「週末に帰ろうね」と話しかけていたそうです.
今度のリハビリ病院は,週末はリハビリがない為,基本的にどの患者さんも一時帰宅が原則義務付けられています.
うちのように,病院まで3時間近くかかる遠方の患者にとっては,それも容易な事ではありませんが,高次脳機能障害には,帰宅頻度を上げる事で回復が早まるという病院の説明がありました.
また私たち家族もこれまでに何度か一時帰宅や温泉へ連れ出したりという家族での介護経験を通じて,1~2日の短い期間ながら一時帰宅で回復を感じる事が多々あった為,信じて頑張ろうと思っています.
ブログを読んで下さっている方からの励ましのコメントと,おっくんの回復への期待を支えにまた今週から新たな病院で,おっくんを見守りたいと気持ちを新たにしました.
改めてたくさんの人にお礼を言いたいと思います.
本当に本当にありがとうございます!
リハビリ病院は,私自身まるで知識もなく,どういう事をどの程度してくれるのか,またその効果がどの程度のものなのか分かりませんが,継続的にブログで状況を報告していきたいと思います.
7/5 オムツの不快感を伝える [日記]
長らくブログ更新が凍結してしまいました。
今日、母が病院に行くと、看護師さんから言われたそうです。
「これまでは尿意も便意も伝えられずに、オムツ交換の時に初めて既にもらしていた事を知るような状況でしたが,最近ではもらした後に私達を呼んで,オムツ交換を促すんですよ」
すごいね、それはすごいね!!
もちろん漏らしてしまう前に意思を伝えられるに越した事はないけれど,でも恒常的にできているというのは,もの凄い進歩だと思うのです.
来週から関東近県のリハビリ病院へ転院が決まったのですが,この病院は全国でも有数の徹底したリハビリに定評がある病院です.
きっと,おっくんもこの病院に転院すれば歩けるようになるはず!と信じている今日この頃.
そういえば,暫くおっくんに本を持って行ってなかったな・・・と思い,以前受傷して日が浅い頃には「喜怒哀楽」がなかなか戻らなかったおっくんですが,今なら昔と変わらぬ感性を持っていると分かっているので,何か楽しい本を差し入れようと思っています.
悲しくて泣けてしまう本よりも,勇気を与えられるような本.それも絵本!
どなたか良い書籍をご存じの方がいらっしゃいましたら,ご教示ください.
いよいよ今の病院で過ごす時間もカウントダウン.
転院後もおっくんにいい事がいっぱいありますように!
4/23 『看護師さん、可愛いね♪』 [日記]
仕事はまだピークですが、徐々に更新して行こうと思います。
『看護師さん、可愛いね!』
これは、日々病院でおっくんがお尻ですり歩きをして院内を回っている状況が続いているのですが、最近になって女性の看護師のみんなに言って回ってるという一言です。
最初のうちはただ徘徊していただけだったのですが、つい一週間くらい前に、院内をすり歩きして回っては、会う女性の看護師に言ってるというから驚きました。
おっくんと同じ年の看護師の方で、入院時から担当して下さってる看護師の人がいるのですが、
『長くお世話して来て、まさかそんな事言ってくれるだなんて思ってもなかったから本当に嬉しい!』と喜んでくれました。
ちなみに、おっくんも相手を選んでいるらしく、人によっては『可愛いね!』が出ないと言う話だったので笑ってしまいました。
最近のおっくんはゴールデンウィークが近づき、自宅に一時帰宅出来ると知っているため、毎日何を話しかけても『ウチに帰りたい、ウチに帰りたい』それしか言わない状態で、昨日久しぶりに病院に行った妹がショックを受けていました。
これも回復途上の現れだと信じているものの、日々接している母親もすっかり披露が溜まってしまったというので相当な状況です。
来週はいよいよ、おっくんが待ちに待った連休です。
楽しいイベントをいっぱい考えなくては!
2010年 4/3 一歩ずつでも前進は前進 [日記]
【お知らせ】
更新が久しぶりになってしまいました。公私ともに多忙なので、明日以降4月18日まではブログの更新を休止します。
今日は、母が病院で「次に家に一時退院するのは4月29日だよ」とおっくんに話しかけたら、「あと27日」と文字盤を指さして即答したそうです。
母が「返事が速い!今日を入れた日数で数えたの?」と聞くと、「うん」と頷いたとの事。
今日を入れると確かに27日。暗算と言うほど大げさなものではありませんが、おっくんは脳挫傷で高次脳機能障害なので、この計算の速さはかなり評価できるのではないでしょうか。
反応が一時期とても鈍くて返事がなかなか返らない事もあったので、今回のようなレスポンスの良さには母も「ちょっと感動した」と言っていました。
それにしても高次脳機能には、すごく振り回されてる感があります。
突然回復してみたり、精神状態が落ち着かなくて後退したり(実際には後退ではなく、そう見えるだけ)、一つの事に気が行ってしまうとそればかり考えたり言動に現れたり・・・など。
事故以来、絶望と希望の繰り返しでした。まさに一喜一憂とはこの病気の為にある言葉なのかも知れないと思えます。
つい先日、高次脳機能障害者とその家族の集まりがあり、母が行って来たのですが、そこへ行くと一喜一憂で悩んでいる状態から随分気持ちが楽になり、勇気をもらって帰れると言います。
その集会へ参加している方たちは、受傷後7~15年経過しているような方が多く、事故当時には意識不明→寝たきり→完全看護、という今のおっくんと同じようなかなり酷いレベルの方ばかりで、その方たちが今では普通に歩いて話して、というほぼ健常者に近いレベルに回復している事を目の当たりにするからだそうです。
社会復帰についても、もちろんたくさんの課題は山積ですが、職業訓練カリキュラムを経て正規に就職している方もたくさんいて、そういう意味でも先々の不安材料への対処方法を具体的に知る事ができる、貴重な情報源になっています。
この病気になってしまった方が家族であったり、友人であったり、と身近な方もいらっしゃると思いますが、課題が見えたら何らかの解決策があると信じて模索する事がとても重要だと思うのです。100%の解決策を望んだら叶う確率もガタ落ちかも知れないけれど、でも9割解決できる策を探そうと思えば、それは妥協なんかではなく、「自分に合った策」だと受け入れる事で100%の解決に変わるのかも知れません。
「就職はできても、人より作業が遅かったり、職場の人に迷惑をかけてしまう事もあるんです」と話していた両親がいたそうですが、私から見たら社会復帰しているだけでも素晴らしい!と思うわけで。。。
ふと私自身、自分が勤めている会社を見渡すと、健常者しかいないにも関わらず本当にびっくりするような壊れた日本語で公文書を作って来る人もいれば、能力があるのにダラダラと生活残業の為に無意味に長く職場にいる人もいます。あとどこの会社にでもいる性格に難ありなタイプなんかもいますし。
健常者と障害者、という差別を取り除けば、案外仕事の成果(結果)としては差がないケースもあるのでは、と思いました。
だからおっくんも少しずつ前進して、次は集中力の持続を課題に更なるステップアップに向けて一緒に頑張って行きたいと思っています。
次回、ブログの更新は4/19以降になりますが、その間におっくんに新しい変化があったら、追っかけでレポートとしては残して行こうと思っています。
2010年 3/22 「また来てね」の本当の理由 [日記]
今日、母がまたおっくんが入院している病院へ行きました。
最近は毎日会うたびに「家に帰りたい」の連発で、病院スタッフも母も面会から帰る度に床に座った姿勢ですすり進んで来ては帰るのを咎める姿勢を取るおっくんに母も心を痛め、病院の方たちもどうにもならない感覚で見守るばかり・・・という生活が続いています。
今日、母が病院へ行き、長くこの専門病院に居過ぎた事でマズイと感じた出来事があったと言うので書いておこうと思います。
おっくん:「家に帰りたい」 ※50音が書いてある文字盤を指差して
母:「おっくん、家に帰りたいってそればかり言うけど、お姉ちゃんが4月の試験に落ちちゃったらどうするの?」
おっくん:「ヤバイ!」 ※間髪置かずに自分の声で答えたとの事。
母:おっくんと共に大笑い
母:「ゴールデンウィークに入ったらお姉ちゃんも落ち着くから家にまた帰ろうね」
おっくん:「また来てね」 ※50音が書いてある文字盤を指差して
母:「また来てね?? そういう時は『わかった』とか『うん』とか答えるんじゃないの?」
おっくん:「また来てね」 ※音が書いてある文字盤を指差して
母:「最近のおっくんは『わかった』って言わないけど、言えないの?」
おっくん:「また来てね」 ※音が書いてある文字盤を指差して
・・・以後、会話を続けても「また来てね」が頻繁に出て来たとの事。
おっくんに頻繁に会っている母は、おっくんが重度受傷者が殆どを占める今の病院の中で、会話を交わせる患者もいなく、身体介護をしてくれる病院スタッフだけの環境で過ごしているうちに、また脳レベルが後退した事を強く感じると言うのです。
以前、発語できるようになったばかりの頃、おっくんに何を話しかけても「腹減った」しか返答しなかった時期があり、その頃を彷彿とさせるような現状です。
脳挫傷による脳のダメージが表出化する出来事の一つでした。
でも、きっと病院の中にいる限り、”家に帰りたい”という思いが募る傍らで、他に集中できるような事(病院内で集中できるような楽しい事)が無いのだと思うのです。
脳レベルの後退と言えばそれも正しいのかも知れませんが、健常な私ですら試験勉強期間の頭の回転速度と、何もしていない時の速度の違いで勉強している時の方が早いと感じるくらいなので、日々退屈な病院生活を送っていれば脳の動きが鈍る事もあるのではと思うのです。
今の病院は本当に良い病院です。
でも、家族が家で介護(今のおっくんの場合は看護要素も強いですが)するのと、民間の病院が面倒を看るのとでは違いがあるのは仕方ないのだろうと思います。
でも、「仕方ない」で済ませる訳にはいきません。
なので、現在アプローチ中のリハビリ病院への転院を願って止みません。
もし入院できると決まったら、母は今の仕事を全て辞めておっくんのサポートに専念するつもりでいますし、私も経済面で支えるつもりでいます。
それもいろいろと大変ではありますが、1日でも早く転院できればいいと思って祈るばかりです。
2010年 3/17 リハビリ病院見学 [日記]
今日は、おっくんを転院させたいと思っている第一希望のリハビリ病院にアポを取り、母が見学に行きました。
都心から2時間程度かかる立地は決して家族にとって近いとは言い難い距離感がありますが、何よりも病院の評判がいい事、特に交通事故により体に障害を負った人の集まりなどで、家族の方や回復した本人からの評判が高い事で第一希望となったのです。
とは言え、やはり人気の高い病院。現在は空き病床はないとの事で、審査で入れる事になったとしても最短で5月下旬以降の入院となりそうです。
母は自信満々で「何だかとってもあの病院におっくんが入れる気がするの!」と言います。
「え?何で???」と聞いてみたところ、母曰く、今日その病院でのおっくんの受付番号の下2桁が”19”、つまり「行く」だったからなのだと(笑)
・・・いやはや、明るい家族に恵まれて我が家は幸せです。
果たして、希望が叶って第一希望の病院に入れるかどうか。。。
いやいや入れるような気になって来たから不思議です。人の気持ちは単純なのかも。
2010年 3/8 脳挫傷からの回復の兆し ② [日記]
また久々の更新になりました。
このところ、おっくんの脳挫傷からの回復が顕著に表れて来ています。
それと同時に、自分が置かれた現実や自分より重症な患者が殆どを占める病院での生活に不安が募るようになっています。
また母に対して手紙を書いたとの事で、コピーされたものが病院から渡されました。
前回の手紙が3/4で今回の手紙が3/8に書いたものですが、周囲の他の患者の家族からも驚きの声がたくさん挙がっているそうです。
1.漢字を書いていること(漢字を覚えていた事、左手で書いているのに読めるレベルという事)
2.文章として成り立っていること
<手紙本文>
お母さん
早く家に帰りたいです。でんわで話したい。お母さんの声がききたい。
2010.3.8 署名(おっくんの本名漢字)
母に「お姉ちゃんに会いたい」とおっくんが言った時に、母が「お姉ちゃんは国家試験があって春の桜が咲く頃までは会えないけど、桜の頃にまた家に一時帰宅しようって計画してるよ」と答えたら、とても喜んで満足し、その日はいつものように「家に帰りたい」の連呼はなかったのだそうです。
おっくんの日々の進歩は、病院の先生も驚いています。
高次脳機能障害も受傷の程度によって、その回復状況も異なるのだと思いますが、少なからず「もうこれ以上よくなる事は期待できません」と先生に言われてから、まだ2~3カ月しか経っていません。
専門家である医師、しかも専門病院の医師であっても、脳の回復の個人個人の違いは、予想し切れないものがあるのかも知れません。
先生を責める気持ちも全くなく、今までどおり家族みんなでおっくんの回復を願って、脳に刺激を与えるような努力を続けて行きたい、その思いだけです。