2010年 11/19 「あしあと」の感じ方 ~母と私の違い~ [日記]

11/1付けで介護タクシー不足について書いたブログに対して、レイさんから戴いたコメントに「あしあと」が書かれていました。

http://brother-agent.blog.so-net.ne.jp/2010-11-01

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「あしあと」

ある夜、わたしは夢を見た。

わたしは、主とともに、なぎさを歩いていた。
暗い夜空に、これまでのわたしの人生が映し出された。
どの光景にも砂の上にふたりのあしあとが残されていた。
一つはわたしのあしあと、もう一つは主のあしあとであった。

これまでの人生の最後の光景が映し出されたとき、
わたしは、砂の上のあしあとに目を留めた。
そこには一つのあしあとしかなかった。
わたしの人生でいちばんつらく、悲しい時だった。
このことがいつもわたしの心を乱していたので、
わたしはその悩みについて主にお尋ねした。

「主よ。わたしがあなたに従おうと決心したとき、
あなたは、すべての道で、わたしとともに歩み、
わたしを語り合ってくださると約束されました。
それなのに、わたしの人生のいちばんつらい時、
ひとりのあしあとしかなかったのです。
いちばんあなたを必要をしたときに、
あなたが、なぜ、わたしを捨てられたのか、わたしにはわかりません。」

主は、ささやかれた。
「わたしの大切な子よ。わたしは、あなたを愛している。
あなたを決して捨てたりはしない。ましてや、苦しみや試みの時に。
あしあとがひとつだったとき、わたしはあなたを背負って歩いていた。」

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私は読んですぐに自分自身を投影して涙がポロポロと出て来て、その旨をコメントで返信しました。

ブログは一定期間溜まったり、シェアしたい情報がある時に母にも読ませているのですが、母がこの「あしあと」を読んだ時に私と全く異なる反応をしたので、その事を書こうと思います。

以前、「涙は自分のためにしか流れない」と聞いた事があり、私は結構その事を信じていました。

例えば悲しい映画を観た時の涙は自分自身を主人公に投影して涙が流れる・・・というような事を指しています。

今回、レイさんがコメントに書いてくださった「あしあと」。

私は完全に自己投影して涙が出た事を自覚しました。ところが母にこのコメントを読ませたところ、やはり同じようにポロポロと涙が出て、やがて号泣に・・・。

母はこう言いました。

「私はこの詩を読んで自分自身をすごく反省した。私なんて全然まだまだおっくんにやるべき事をやりきれていないって思ったわ。もっとおっくんの為にやってあげなきゃダメだわ。私に比べて主の心の広さは・・・(泣いてしまって言葉にならず)」

私は「あしあと」が一つになってしまったのは自分自身だと思って読んで涙が出たのですが、母は「あしあと」が一つになり、辛い境地に置かれているのは、おっくんであり、一緒に歩いているのは母自身だと投影して読んだに違いありません。

介護は容易な事ではなく、日中毎日のようにおっくんと過ごす母は、ほぼ100%の介護を日々強いられるため、あまりにも聞きわけのない態度をおっくんが取ったり、換えたばかりのシーツに寝かせたとたんに漏らしてしまって汚してしまったり・・・、イライラしたりストレスが溜まったりするのは必然になってしまいます。

最近では私がおっくんに買って来た「千と千尋の神隠し」のDVDを1日中観ているらしく、それに付き合っている事にかなりのストレスが溜まってしまっていた母は、きっと自分自身の心の中まで責めて「あしあと」を読んで後悔して涙を流したのだと思うのです。

でも、こんなに明るくて頑張っている母は素晴らしいし、昔からずっと今も私たち家族にとっての誇りです。

今回また「あしあと」の読み方の違いにハッとさせられ、母から学びました。

母の愛って偉大ですね。私こそ「まだまだ」です。


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コメント 5

Blendy

「あしあと」
私も最後の一文を読んで、涙がこみ上げてきました。
それが、どんな感情からなのかは自分でも説明がつきません…。

私は子どもが2人(小学生と中学生)おりますが、「我が子」に対しては自分の事以上に心配で、涙して、悩むものです。
でも、その思いは親にならないと実感できないものですよね。

canaさんは「まだまだ」とおっしゃいますが、お姉さまとして出来ることを一生懸命サポートされていらっしゃるのだから、自信もって下さいね。

私も、義母には脱帽です。
同じようには出来ないけれど、自分に出来ることでサポートしていきたいと思っています。

この「あしあと」の詩
私もどこかで引用させていただいていいでしょうか?


by Blendy (2010-11-20 13:56) 

Blendy

canaさんも、レイさんもクリスチャンなのですか?
実は、義妹もプロテスタントのクリスチャンです。
事故後、本当にたくさんのクリスチャンのご友人が祈りを奉げて下さいました。
私たち家族は、クリスチャンのみなさまにどれ程助けていただいたか図り知れません…。
by Blendy (2010-11-20 14:14) 

レイ

canaさま
御母様は、偉大ですね。私は、自分と一緒に神様が歩いている。としか考えられませんでした。神様のように、おっくんさんとともに歩き、時には足になり、と考えていらっしゃるんですね。子どもを思う御母様は、本当にすばらしいです。是非、御母様が無理をなさらないようにサポートされてください。そして、canaさんご自身も無理をされませんように。
多分、おっくんさんと家の主人は、同じ様な状況だと思います。私はいつも、本当に時間がたてば今よりはよくなるんだろうか?と時々弱さが出ます。でも、倒れた頃よりは、おっくんさんも家の主人も、信じられないぐらいの回復ですよね。3年、5年ときっとよくなっていけると信じています。
この場をお借りして、
Blendyさま私は、カソリックのクリスチャンですが、この「あしあと」は、プロテスタントの教会では有名な文章だそうです。もともと英文があって、私に教えてくださった友達は、英語の文章の方がより心に響くとおっしゃっていました。以前canaさんが、おっくんさんの洗礼名である、アッシジの聖フランチェスコの「平和の祈り」を載せていらして、あの時の、あらためて文章を読ませていただき、私は、号泣してしまいました。今の、介護生活の支えにもなっています。
皆さんに、支えられながら私も夫の介護をやっていこうと思います。
ありがとうございました。
by レイ (2010-11-21 11:59) 

cana

Blendyさん

いつもコメント、ありがとうございます。

我が家は全員カトリックのクリスチャンです。
常日頃、熱心に教会へ足を運ぶ事も少なく、祈りを捧げる事も少ないのですが、いざこういう時(弟の事故)に接すると、祈りの大切さや力強さを感じます。

この詩『あしあと』は素晴らしいと思います。
引用はレイさんから教えて頂き、私も掲載しただけですが、特に問題ないかと思います。
アッシジの聖フランチェスコの『平和の祈り』も出典が明白なので、載せています。

祈りは支えになります。
by cana (2010-11-22 17:52) 

cana

レイさん

コメント、ありがとうございました。
『あしあと』はこれから生涯大切にしていきたいと思います。
宗教や宗派に拘る人もいますが、私はあまり拘りを持っていません。
ですが、今までの人生で辛い事に遭遇する度に(日常の些細な事も含めて)祈る事で救われ、その大切さに気づかされます。
そして何事もない平穏な日ほど祈る事を忘れてしまう……。
宗教も宗派も越えて、素晴らしい教えや言葉は大切にしていきたいと思っています。
『あしあと』を教えて頂き、本当にありがとうございました!
by cana (2010-11-22 19:15) 

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