2008年1月1日/病院で迎えたお正月 [日記]
年末に差し迫った頃に病院から転院の話を切り出されていたので、いくつか候補の病院を考え始めていました。
その中で、「交通事故専門の病院」がある事を知りました。
現在は民間に委託されている病院ではあるのですが、元々は国土交通省の管轄で国が支援している特殊な病院でした。
妹夫婦がその病院を見に行ったのですが、施設の充実ぶりや看護体制、そして何より病室が開放的で明るく、「病院っぽくない雰囲気の病院」だったそうで、何としてでもその病院へ転院させてあげたい、という気持ちが強くなったと言っていました。
但し、当然ながら入院を待つ患者が多く、年に2回しかない入院受け入れの倍率は30倍以上との事。
家族との面接や本人の病状などから総合的に判断して優先順位が決まるというものでした。
本人の病状としては、①状態が重い事、②入院期間最大3年の間に回復が見込める事、という大きな2つの観点から判断されるという話でした。②は回復の見込みという点から、老人よりも若い受傷者が優先される、とも受け取れるとの事。
申込期日の年末にギリギリ諸般の書類を揃え切る事ができ、何とか翌年春の入院に向けて申込みが間に合いました。
でも、この病院へは運が良くても入院できるのが春になる、という事でそれまでの間に入院する病院も探さなければなりませんでした。
病院から紹介状を書いてもらって足立区の病院への転院が決まりました。
そうこうしているうちに、あっという間に大晦日を迎えていました。
お餅もおせちも何一つ準備できないお正月は人生で初めての事でした。
ほんとに味気ないと言うか・・・なのに何故か、それすらどうでもいいような気になってしまうような感じで、要はかなり心身ともにくたびれきっていたのだと思います。
大晦日を妹夫婦の家で過ごして、翌元旦に病院へ行きました。
携帯のメールで「今日はお正月だよ」と書いて画面を見せたら、心なしか目が文字を追っているように見えました。
それから程なく1月7日には、足立区の病院へ転院しました。
民間救急車なる介護従事者が同乗する大きめのボックスタイプの車でおっくんを運びました。
これが結構な金額が掛かるのですが、いろいろ調べてみたら金額は業者によって全く違うので、その事を知って、時間の無い中、なるべくリーズナブルできちんと対応してくれる業者を探して手配しました。
記憶が曖昧ですが、業者によって数万円の違いがあった事は覚えています。都内の病院間の移動で数万円の違いが出る、というのですから驚きです。
世の中のインターネットの普及に助けられた出来事の一つでした。本当にネットは便利ですね。
無事に転院は済んだものの、事故の影響で脳に溜まった水(水頭症と言います)や内臓に受けたダメージ、脳内の損傷などから、おっくんは常に38度以上の高熱が続いていました。かれこれ事故から1カ月以上が経つのに熱が下がらず、その事も私たち家族の精神的な負担となっていました。
インフルエンザの発熱と同等レベルの熱が1カ月以上も続くだなんて・・・。
1月中旬頃、それまでも何度か足を運んでいた警察へ行き、最終的な調書を作成しました。
今回の事故が起こるまでは、私にとっての「警察」のイメージは良くも悪くもなく、縁のないもの=どうとも思わない存在でしたが、おっくんの事故によってイメージが一変しました。
その事に触れると長くなるのですが、触れずにはおけない事なので次回のブログで書く事にします。
「イメージが一変」
おっくんの事故当日に遡って、警察の事については書き残したいと思っています。
ご訪問&nice!をありがとうございました。
私は現在交通事故で四肢が麻痺した方とも一緒に、
webサイトの制作を学んでいます。
仰るように医師は最悪に備えた発言が多いかも知れませんが、
医療も含め様々な癒しは、日々進んでいるのは確かです。
またご家族皆様の愛はどんな時でも最良の薬でしょう。
希望はいくらもっても良いと私は思っています。
by A・ラファエル (2009-11-13 16:19)