2008年1月13日/7つの奇跡と2つのメダイ [日記]
おっくんの突然の交通事故が12月1日。
1カ月半が過ぎようとしていた頃、それまでも何度も足を運んでいた警察へ、最後の調書作成に行きました。
前回のブログでも触れたように、今回の事故が起きるまでの私にとっての「警察のイメージ」は、良くも悪くもない、自分とは無関係な存在でしかありませんでした。
ですが、この事故を境にして私の中での警察のイメージは大きく変わりました。
昔から何かにつけて運の良かったおっくんの運は、もしかしたら事故の日が最高に良かったのかも知れません。と言うのも、事故が起きた時に、普通では考えられないような奇跡的なラッキーが続いたからです。
事故当日、深夜1時前後の東京都内の事故現場は大きな交差点とは言え、人通りも少なく、車の量も落ち着き始めている状況でした。
その交差点は日頃から交通事故の発生が多い場所という事と、12月に入り年末年始に向けた交通安全の一環で、警官が交差点に立っていたのだそうです。
事故は、まさに警官の目の前で起きました。
その交差点からすぐの場所に警察署があり、署内の道路モニターをたまたま見ていたベテランの警察官Sさんは、モニターに人が車と衝突した勢いで画面上を飛ばされていく瞬間を目撃しました。
慌ててSさんは、警察署から交差点へ駆けつけ、当番で立っていた警官の元へ行き、事故の惨劇を目の当たりにする事になったそうです。
声にならないうめき声で意識のないおっくんが倒れ、タクシーは中央分離帯の手前に工事中だった作業員の手前にあるコンクリートに激突しました。
救急車を呼ばなければ!とSさんと警官が思ったその瞬間、人が乗っていない空の救急車が通りかかったのです。
すぐにSさんが救急車を呼びとめ、当番だった警官に「救急だと断られる可能性があるから一緒に同乗して病院まで行け!」と指示し、警官同乗の下、救急病院へ向かう事になりました。
Sさんは、自分の奥さんが某有名病院で婦長をしていて、その病院の系列の救急が脳外科に強い事を認識した上で、救急隊員へ病院まで指定して患者を受け入れるよう強くお願いしてくれました。
事故発生から救急病院へ運ばれ、ICUへ到着するまで僅か15分足らず。
交通事故でこんなに迅速に救急へ搬送されるケースは稀だそうです。
私たち家族が深夜に事故の連絡を病院から受け、駆けつけてから暫くは事故の状況を知る余裕などもなく、いつ心肺が停止するかも分からないおっくんの事で頭がいっぱいでした。
そして、事故から5日が経って警察へ行き、初めて事故の時の詳しい状況を知ったのでした。
Sさんから詳しい状況を聞くうちに、当日の奇跡の数々を知り、次第に涙が溢れて来ました。
①事故が起きた当日から警官が深夜の交差点に立つ事になったこと
②その警官の目の前で事故が起きたこと
③すぐ傍の警察署内で遅番だった担当者が交通事故対応のベテランSさんだったこと
④Sさんがたまたまモニターに目を向けた瞬間に人が飛ばされるのを目撃したこと
⑤おっくんと衝突したタクシーがぶつかって止まった中央分離帯は、事故の直前まで20人くらいの作業員が深夜の工事を行っていて、事故時間が20分早かったら死傷者が間違いなく出ていたであろうこと
⑥事故が起きてすぐに偶然にも空の救急車が通りかかったこと
⑦Sさんの奥さんが脳外科の権威の有名病院の婦長で、現場から近い系列の救急病院を知って、救急隊員へ指示が出せたこと
事故は居眠りで信号を無視したおっくんの100%過失で、バイクは事故現場から30m先に飛ばされ、ぶつかった衝撃で外れたヘルメットは55m先で見つかりました。
Sさんから、同じような事故が翌日にも起こり、おっくんと同じような年齢の男性が即死だった事を聞き、「命が助かった事は奇跡としか言いようがない。今は意識が戻らなくても、これだけ強運なんだから、いつかきっと目を覚ましてくれるはず。毎日家族が病院へ行って、手を握って声を掛けてあげる事は大切なんだから、気を確かに持って!」と励ましてくれました。
母は、「今まで何度もこの警察署を通り過ぎる事がありました。何も感じずに通り過ぎていたけど、これからは足を向けて寝る事はできません。Sさんや当日息子の事故に立ち会ってくれた全ての人たちに感謝してもし尽くせません。」と言って泣いていました。
Sさんの迅速な判断で救急へ最短時間で行けた事がおっくんの命を繋ぎとめた事は言うまでもありませんでした。私の「警察のイメージ」は、その日を境に一変しました。
Sさんから一通りの事故当日の話を聞き、事故の時に着ていたおっくんの皮のコートなどの衣類や靴、財布やキーケースなどの所持品を受け取りました。
母がふとキーケースを開けると、そこには1年前に家族で行ったフランスの教会で買ったマリア像のメダイ(メダイはメダルの語源であり、ネックレスなどにつけるメダル状の銀製のペンダントヘッド)が2つ付いている事に気付きました。
それを見て、1つはおっくんの命を助け、もう1つは事故に巻き込まれる可能性のあった事故現場の人を助けたのではないか、と母が言いました。本当に心からそう思いました。
私も家族もカトリックなので、おっくんもミドルネーム(洗礼名)を持っています。おっくんの洗礼名は「アッシジの聖フランシスコ」。
アッシジの聖フランシスコの「平和の祈り」は、ICUでの私たち家族の心の支えになりました。
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『平和の祈り』
主よ、わたしを平和のためにお使いください。
憎しみのあるところに愛を、
争いのあるところにゆるしを、
分裂には一致を、
疑いには信仰を、
誤りには真理を、
絶望には希望を、
悲しみには喜びを、
暗闇には光をもたらすことができますように。
主よ、慰められることよりも、慰めることを、
理解されることよりも、理解することを、
愛されることよりも、愛することを求めますように。
わたしたちは与えることによって多くを受け、
ゆるすことによってゆるされ、
人のためにいのちをささげることによって、
永遠の命をいただくのですから。
出典:平和の祈り~アッシジの聖フランシスコ~
今日は同じ祈りを別のブログでも見ました。
何か大きな意志を感じますね。
by A・ラファエル (2009-11-15 11:53)