2007年12月10日~/加害者と被害者 [日記]

「昨日と同じように面会に行ったとき、カーテン越しに手が動いているのが見えてびっくりした。思わず大きな声で名前を叫んでしまった。眼も右が開いていたからだ。」 

これは当時の母の日記に書かれていたものです。

事故から10日位は、何が何だか分からないくらいにバタバタと毎日が過ぎて行きました。

警察に行き、取調室に母に付き添って一緒に調書に立ち会ったり、事故現場を見ておこうと車で行って、まだ生々しいおっくんが乗っていた原付の残骸を集めたり・・・

私もちょうど仕事が忙しい時で、朝から会社に電話しつつ、理解ある上司や同僚(プロジェクトの最中だったにも関わらず)に支えられて、甘えつつ毎日病院へ通う日々を送っていました。

母は「おっくんが悪いのは分かっているけど、今は申し訳ないけど、他の事は考えられない。おっくんさえ助かればいいっていうのが本音なのよ」と言いながら泣いていました。

私は子供がいないので分かっているようで、正直なところ本当にはこういう話を理解できないでいるのかも知れない、と感じました。

「おっくんだって悪かったんだよ。タクシーの運転手の人は被害者でもあるんだし・・・」と。

事故である以上は、加害者と被害者がいる訳で、おっくんの事が頭の中にいっぱいだったとしても、決して目を背けてはならない事だと認識していました。

事故から10日余り経った頃、警察から聞いていた被害者のタクシー運転手の方の自宅へ謝罪に訪問しました。

住宅街の入り組んだ道をカーナビの無い車で、警察からの地図を頼りに向かいました。

予め電話を入れた時に一方的に怒鳴られて電話を切られていた為、母はその電話がトラウマで会うこと自体に怯えきっていました。

先方の自宅に到着し、車から降りて母と妹と3人で門戸へ向かいました。

その日は12月中旬で、物凄く寒い日だったのですが、私は社会人癖もあり、門戸で呼び鈴を押す前に無意識にコートを脱いでいました。それを見て、母と妹もコートを脱いで、真冬の風の強い日に被害者である相手の方が出てくるのを待ちました。

私の中では、事前の電話での対応から考えても、門前払いで会ってもらえないまま玄関先で追い返される、という覚悟をしていました。

呼び鈴を鳴らして出てきたのは、初老の女性でした。

警察から聞いてはいたものの、私自身あまり女性のタクシードライバーの乗車経験もなく・・・と言うよりは、相手があまりに高齢過ぎて驚きました。

今回の事故は弟が居眠りしたまま大きな交差点をゆっくりとダラダラ原付バイクで信号無視し、それに気付かずに出合い頭にタクシーがぶつかった、というものだったのですが、私たちも相手の方がタクシーだった、という事以上に詳しい事は警察で初めて知ったのでした。

そして、呼び鈴に玄関口まで出てきてくれたのは、紛れもなく被害者となったタクシーの運転手の方でした。

女性。しかも75歳でタクシードライバーだったと予め聞いていたものの、「タクシーで75歳定年って本当なの?」という気持ちもあり、実際に会うまでは、おっくんが悪いにも関わらず「何故、75歳でタクシーとして営業できるの?それがおかしかったんじゃないの?だって、乗客の人も『自分ならもっと早くブレーキを踏めるような状況だった』って警察で証言してるし!」

結局、私も母も家族のみんなが、”おっくんが加害者である事”よりも、”おっくんが負った受傷が大きく、相手方は軽傷だった”という事で、知らず知らずのうちに相手方の問題点を探すモードに入っていたのだと思います。

実際、相手のKさんにお会いするまでは「75歳の女性ドライバー」を俄か信じ難い気持があったのは事実です。(悪いのはもちろんこちらなのですが)

”怒鳴られる!”と覚悟しての対面でした。電話の切られ方もそうですが、状況が状況だった訳なので・・・。ですが、実際に会いに行ったら、とても優しい初老の女性でした。

母も私も妹も怒鳴られて追い返される覚悟で謝罪に向かったのですが。

会って、玄関口でいろいろと話をして、

運転手Kさん:「息子さんはどうなの?」

母:「まだ意識は戻らないんです。お医者様からも、いつ病状が異変して命に関わる事になるか分からないと言われている状態で・・・」

運転手Kさん:「私はこの家に一人で住んでいて、主人は先立って、息子たちは巣立って行って・・・。タクシーで生計を立てていたんです。春に車も新車にしたばかりで。」

そんな感じでやりとりしていました。

私たちが手土産で菓子折りを渡して改めて頭を下げると、「ちょっと待ってて」と言って、Kさんは家の中へ・・・。2~3分して戻って来た時に「一人ではこんなに食べられないし、とても美味しいお菓子だから持って行って」と、和菓子をたくさん持って来てくれました。

母は最初から泣いていましたが、更に号泣してしまい、渡される和菓子を受け取るのが精一杯という状況でした。

そして、改めて頭を下げて、失礼しようとしたところKさんが「待って!」と呼び止め、玄関のすぐ脇に庭から伸びた柚子の木から花ばさみで柚子の実を10個くらいもぎ取って、お土産にと渡してくれました。それ以外にも家の中から色々なものを持って来てくれて袋に入れて持たせてくれました。首には鞭打ちの後のコルセットを付けて、決して万全な状態でもなかったはずなのですが。。。

Kさんの家を出て、車でまたおっくんのいる病院へ引き返したのですが、Kさんの優しさ、そして都会の独居老人の現状を垣間見た気がして、おのおの色々な思いを胸に車で泣いたり、黙ったり・・・。

「事故当事者の個人タクシーの運転手Kさんの自宅まで行く。とても感じのいい人だった。叱られたり、怒られたりする覚悟で伺ったが、とても優しい人だった。おっくんのことをとても心配して、良くなったら食べさせてと、リンゴや柚子、庭に咲いている花を庭から摘んでくれた。この人も腰を少し痛めたみたいだ。一日も早くこの人も治るよう、神に祈った」

この日の母の日記です。

おっくんに食べさせたいKさんからの戴き物のリンゴも、食べさせてあげられる日が来るのか、もしくは来ないまま突然病状が悪化してしまうのか・・・。

言葉って不思議。私は日本語が大好きなのですが、なぜかこの時に「良くなったら、このリンゴを食べさせてあげて」というKさんからの思いやりであるはずの言葉が、「叶うか分からない残酷な思いやり」に感じてしまったのです。

今にして思えば、「大丈夫だよ、絶対におっくんは眼を覚ますから!」と母を励ましていたにも関わらず、自分がそう信じ切れていなかったのかも知れません。信じ切れていたら善意の言葉は善意の言葉でしかないし、絶望的な最悪なシナリオなど考える必要もなかったはずなのです。

おっくんが生きる事への戦いを諦めないのに、アタシらダメじゃんか!

こんなダメダメな姉じゃ、おっくんの回復はムリだろが、と。毎日毎日、自分を叱っては奮い立たせている日々を送っていました。


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