2007年12月10日~/交通事故の後遺症 [日記]

毎日毎日、ICUに通い、交通事故の聴取などで警察へ行き、公的保険の手続きで区役所へ行き・・・と、病院・警察・区役所へ頻繁に行く日々が続きました。

おっくんは、事故から1週間後に意識はないものの、右目が薄っすら時々開くようになりました。

かと思えば、開いていない日もあったりと、家族はちょっとした変化にも一喜一憂して、毎日が喜びと絶望の繰り返しのようでした。

事故からちょうど10日近く経った頃、手を握ると右手は弱く握り返すようになりました。

でも実際には、事故の翌日12/2に幼馴染の親友が病院に来てくれて大きな声で話しかけた時に、ものすごく力強い反応で目を開けて、幼馴染の呼び掛けに目玉を動かす反応を見せたのです。

友達のチカラは本当に凄いと改めて実感しました。

でも、翌日からはまた左半身の反応が全く無く、瞼も時々右側が薄く開き、左側が開く事はありませんでした。

脳が受けた損傷の影響が右半身に表れている事は顕著で、利き手が右の息子を思って、母は泣きながら必死に右手、右足を握り続けました。

私も妹も毎日声を掛けて体をさすったり、軽く叩いたり、瞼を無理やり指でこじ開けて大きな声で話しかけたりしていました。

そんなこんなで事故から2週間が経過した12/14。こちらの呼び掛けに反応して大きく目を開けたのです。左手に力が入り過ぎて、腕は硬直したように九の字に曲がった状態でした。

帰り際に「明日また来るからね!」と声を掛けると、じっと見つめて話を聴いているような目をしている(そう感じただけかも知れない)ように、いつまでも見開いていました。

でも、その後はまた時間帯によって、全く目を開かなかったり、時々薄っすら開いてくれたり・・・。

翌日もまた同じように声を掛けると目を開け、「また来るよ」と帰り際に話しかけると、腕に力が入り、目を大きく開けて、まるで「行かないで!」と訴えかけているような反応を見せました。

おっくんを心配して、いろんな方がいろんな情報をたくさん提供してくれました。

その中で、「オルゴール療法」というものを試したらどうか、という話があり、早速オルゴールを買って病室に持ち込み、枕元でかけてみました。大きな反応はないものの、今となってはオルゴールを掛けていた事も脳の反応に影響を与えてくれていたような気がしています。

事故から3週間。友達が持ってきてくれたiPODで聴かせる曲の中で、反応する曲と全く反応しない曲がある事に気付きました。

好きだった「ゆず」と「コブクロ」を聴かせたら、「コブクロ」にだけ口をパクパク歌っているように動かす反応を見せました。早速、病院に来てくれた友達にもその話を伝え、またみんなで僅かな希望を持つことができました。

今になって思い返すと「記憶」の障害が後になって表れたので、「コブクロ」は覚えていて、「ゆず」は思い出せなかったのかも知れません。それも無意識の意識の中の話で。。。

その頃は、通っていた専門学校で年末にかけて試験があり、おっくんも事故の直前まで毎日遅くまで勉強し続けていたので、試験の負荷が高いことは良く分かっていました。そんな中にあっても、こまめに試験の合間を縫って、何人もの友達が病室へ通ってくれました。

恐らく、友達の声掛けは脳への刺激がとても大きかったのではないかと思っています。何故か?と聞かれても医学的な観点で理由を述べる事はできませんが、毎日毎日おっくんを見続けている家族から見ると、指1本の反応、瞼を開けた後の目の動き方の違いなど、周囲からは分からないような小さな反応も見逃さずに気付いていた、としか言いようにありません。

「おっくんからは私たち家族や友達は見えているのだろうか?」 この頃には、「おっくんの視覚」があるのか無いのか、呼び掛けに反応して目を動かしているのは、見えているからなのか?が分からないまま、ただひたすら回復を信じ続ける毎日が続きました。

毎日、友達や親戚のみんなが代わる代わる誰かしら病院に来てくれて、私たち家族と一緒になって、おっくんに声を掛けてくれました。主治医の先生も「声掛けはとても大切」とおっしゃっていました。今となっては、これも医学的な観点での話ではないのですが、「受傷後のなるべく早い段階から、毎日毎日長い時間声を掛けて、手を握ったり、足をさすったり、肩を叩いたりする事の効果はある」と確信しています。ズタズタに切れてしまった壊れた脳細胞も、元の細胞ではないまでも別な細胞とまた結合する事があるそうです。転んでケガをした膝小僧にかさぶたが出来て修復するように、脳の中でも細胞は諦めずに生き続けるための模索をしているのだと思えてなりません。

後遺症は明らかに左側に出ているのは分かりましたが、でも「後遺症」って何なんでしょうね? 「後遺」とは言っても、一生「後遺」として残ってしまうのでしょうか? そんな受け入れがたい事は受け入れないに越したことはないのです。

家族みんな、いつかおっくんが回復して完全に目を覚まし、家族も判別できて、きっと歩けるようになる・・・。本気で信じていました。

信じることは救われる。これ本当の話です。だから、同じような事故に苦しんでいる人も絶対に絶望したり、途中で諦めないで欲しいと思うのです。だって、家族が諦めたら、意識のない本人の生きる希望を繋ぐ術がなくなっちゃうじゃないですか。

受傷後に、家族にとっての一番の敵は、「諦め」と「絶望」だと思うのです。こればっかりは自分自身でポジティブな気持ちとモチベーションを高める努力をしなければなりません。シンドイけど、頑張るしかないのです。おっくんはもっと頑張ってるんだろうから。。。

 


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